令和も生野支部をよろしくお願いします(古田敦彦)

令和、新しい時代によせて

生野支部で研修担当副支部長を拝命しています。

時代は、令和に改元されましたね。

今こうして振返ってみると、東京オリンピックの前の年1963年に生まれ、その7年後の1970年に大阪府吹田市で国際万国博覧会が開催されました。

さすがに、1歳の時のオリンピックの思い出はありませんが、当時7歳だった大阪万博の事は、今でも覚えています。

生まれて初めて外国の人を生で見、フランクフルトソーセージの美味しさにビックリしました。またアメリカ館の月の石や三菱みらい館の天井いっぱいの映像など、当時7歳だった私には、本当にすごい体験でした。

もう少し年上の方とこの話をすると、サイン帳を持って、その外国の人にサインを貰いまくったそうです。まあ多くの外国人が来阪する今日では想像出来ないでしょうね。

とにかく映画「3丁目の夕日」そのものでした。色んな物が発売され、それが家にやって来てどんどん便利になって行った。それが昭和だったと思います。

昭和61年に大学を卒業し、税理士を目指して会計事務所に就職し、夜は経理学校に通い始めて3年目に、昭和天皇が崩御され時代は平成へと改元されました。

当時、小渕官房長官が平成と書いた額を掲げるのを担当先の事務所のテレビでリアルタイムに観たのを今でも覚えています。またその会社から事務所へ戻る途中の京橋で、新元号「平成」の号外を貰いました。ちょうどこの前「令和」の号外を奪い合うように取っていた映像をテレビで観て、少しショックを受けました。

幼少期から学生時代を過ごした昭和が終わり、税理士となって独立し社会人として歩んで来たのが平成です。確かに平成の時代は、国内で戦争はありませんでしたが、一方海外では、湾岸戦争が勃発し、それが終息すると、9.11に代表される自爆テロが各地で起こっています。また過去に経験した事の無い凄い揺れだった阪神・淡路大震災、東日本大震災や熊本地震、大雨による河川の氾濫や第二室戸台風クラスの台風が昨年大阪を直撃しました。このようにテロや自然災害で多くの犠牲者が出た時代だったのではないでしょうか。個人的にも両親との死別等激動の時代でした。

今回の令和への改元は、平成天皇が退位され、日本全体が祝賀ムードで、令和になる瞬間は、まるで正月を迎える時のようでした。

この令和がどのような時代になって行くのか?

来年の東京オリンピックそして2025年の夢洲で開催される大阪万国博覧会、まるで幼い頃のワクワク感がまた実感出来る様で、今から楽しみです。

この令和という時代が、平和で豊かな時代だったと後世に伝えられるように日々努力していきたいものです。

 

近畿税理士会生野支部 副支部長 古田敦彦

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