高木康之先生 支部長退任記念インタビュー

空も高くなり秋風が心地良くなってきた10月上旬。6月の役員改選で支部長職を退任された高木康之先生に、現在の心境や今後のことについて思い出話を交えながら伺ってきました。

(聴き手は生野支部副支部長の山下とWeb担当の島田です。なお、以下の文章は関西弁のイントネーションでお読みください。)

改めて振り返って

 

——2期4年の支部長職、お疲れさまでした。退任なさって少し経ちますが、今現在どういったお気持ちですか?

 

いやー、楽になったわ(笑)。ホンマに楽よ。今は支部の仕事ほぼないから、おかげさんでゆっくりさしてもらってます。ずっと事務所で仕事してるから、逆に運動不足になったくらい。

 

——それほど支部長職は大変だったということですね。

 

そら大変やったわ。支部長っていうのは支部のトップで支部の顔なんやけど、やってることは簡単に言うと飛脚。連絡係よ。

生野支部は事務局がないから、支部長が窓口になるんよ。せやから、うちの事務所に直接メールやらFAXがいっぱい来るねん。近畿税理士会の委員会だけでも12あるから、時期によっては1日に何本も連絡が来て。それを担当の副支部長に振り分けたり、自分で回答を書いて返信したり。そんなんだけでもかなり時間取られたなぁ。

それに、聞いてなかったような追加の仕事も後からどんどん出てくるねん。担当の副支部長がいてる仕事やったらお願いできるけど、そうじゃないのが大変よ。そのたびに「誰にお願いしたらええかなぁ」って頭悩ましたり。

あと、いろんなお付き合い。とにかく人との付き合いの時間が多くなる。税理士会はもちろん、税政連とか納税協会とか納貯連合会とか、お世話になってる関係団体の集まりに参加するのも支部長の大切な役目やから。年末年始とかイベントの多い時期はあっちゃこっちゃ行ったわ。

1日の大半を支部のこと考えてるような状況がずっと続くから、自分の仕事とか勉強の時間がなくなるんよ。せやから仕事のことどんどん忘れていくし。

もともと「いずれは支部長をやりたい」と思ってはいたんやけど、いざやってみたら想像してた仕事と全然ちゃうかった。

スケジュールもきついし、体力的にも結構しんどかったし、なかなかハードやったわ。

 

——現在は支部監事に就任されていますが、支部長だった頃と比べていかがですか?

 

そら支部長のときとは全然ちゃうで。支部監事は会計監査と業務監査が仕事なんやけど、それは年に2回のことやから、普段は支部の仕事ほとんどないんよ。

支部長のときは支部の仕事で1日つぶれたりするから、事務所の仕事は休みの日にまとめてやったりしてたしね。僕のやらなあかん仕事がどんどん後回しになっていくから、そのしわ寄せがスタッフに行くやろ。せやからスタッフにもずいぶん負担かけたと思うわ。

今は事務所に集中できるから仕事も落ち着いてできてるし、スタッフもゆったりしてて、いい状況やね。

 

——改めて、高木先生は今の生野支部をどのように見ておられますか?高木先生の後を受けた今の執行部にメッセージなどあれば。

 

生野支部のいいところは、皆さん和気藹々とした楽しい雰囲気があるところやと思います。でもその反面、距離が近いがゆえにやりづらい部分もあるかなぁとは思います。

今の正副支部長はそんな中で頑張ってくれてて、感謝してます。彼らなら間違いなく上手くやってくれると思うんで、体調にだけは気を付けて頑張ってほしい、という気持ちやね。

今の正副支部長は、僕が支部長やってたころのメンバーがそのままやってくれてるんで、ある意味可愛いんよ。2期4年ずっと一緒にやってきたから。

 

思い出話

 

——高木先生の昔のお話をうかがいますが、小さい頃はどんなお子さんでしたか?

 

うちは母親が早くに亡くなってて、父親が割と厳しい人やったから、家の中はちょっと息が詰まったんやな。とにかく外に出たかったんよ。せやから、よく外で遊びまわってたなぁ。ご飯は家で食べてるけど、食べ終わったらもうどこ行ったかわからんような子供やった。割と“はしかい”子供やったね。

 

——お父様はどんな方でしたか?

 

うちの父親は物静かで、黙ってたら居てるか居てへんのかわからんような人やったけど、厳格な人やったね。明治の男そのもの、っていう感じやった。

好きやったんは、酒とタバコと魚釣り。そない羽目を外して遊ぶようなタイプではなかったけど、酒はまぁ強かったね。一升瓶が2日でなくなるねん。

あと、般若心経を写経して『千枚祈願』をやってたわ。自分で書いたものを「縁起物やから」って言うてお客さんにあげたりしてた。

亡くなったときは、父親が自分で書いて持ってた般若心経と、大事にしてた釣竿を棺に入れてあげたなぁ。


——税理士を目指したのはやはりお父様の影響でしょうか?

 

そうやね。家庭環境もあったから、目指したっていうよりは自然な流れやったね。

小学校3年生ぐらいで4桁の暗算ができたんよ。「すごいな」って教室の先生からも褒められて。数字を書くのは好きやったから、この道へ進むのに特に抵抗はなかったね。

 

——若いころ苦労した、というようなエピソードはありますか?

 

税理士試験1つ目受かるまでは苦労したなぁ。難波にある専門学校に通ってたんよ。「この先生に習うと絶対受かる」っていう評判の先生がいてはって。でも、そんな有名な先生の授業受けてるんやけど合格でけへん。結局何年もかかったんよ。その時期はしんどかったなぁ。

まぁ真面目に勉強してなかったせいでもあるんやけどな(笑)。「税理士合格するまでは遊びに行くの禁止」って父親から言われてたんよ。でも内緒でゴルフ行ったりしとった。

帰ってきて「どこ行ってたんや」って聞かれたら、「フナ釣りに行ってた」ってウソつくんよ。うちの父親は釣りが好きやから、釣りだけは何も文句言わへん。それにゴルフもフナ釣りも手袋するから、日焼けの跡ついててもバレへんねん(笑)。

でも何回もそれやってたら父親もさすがにおかしいと思うたんか、「お前、よう釣りに行ってるけど、どんなん釣れたとか全然言わんな」って言うてきてな。慌てて「いやー、棚が合わんみたいで全然釣れへんねん」とか言うてごまかしたりして(笑)

 

——税理士になっていなかったら、と思うことはありますか?

 

大学生の頃は英語の勉強を一生懸命やってて、経営学の勉強をしにアメリカに留学行きたいと思ってたんよ。父親に言うたら反対されると思ったから内緒で手続き進めてたんやけど、いざという段階でバレてしもうて。結局行かしてもらわれへんかった。

後悔してる、とかいうことではないんやけどね。今こうして父親の跡を継いで税理士をやってる状態はベストやと思ってるから。

でももしこの仕事をしてなかったら、外交官とまでは言わんけど、何か英語を使った仕事をしてたかもしれんね。

 

これからのこと

 

——支部長を退任されて、これからのビジョンや目標、個人的にやりたいこと等はありますか?

 

事務所のことで言えば、息子が早く資格を取ってくれること。まずはそれやね。今は3代目養成期間中なんよ。普段のお客様対応は任せられるようになったから、あとは試験の合格なんやけど、これがなかなか思うように進まんみたいで。そんなとこまで親に似たんかなぁ(笑)。

自分のことっていうのは特にないなぁ。あと10年若かったらいろいろあったかもしれんけど。今は体動かすのもちょっとしんどいときがあるんよ。酒もタバコもやめたから飲みに出かけることもなくなったし。でも、意外とそれで運動不足になってるのかもしれんなぁ。飲み歩くっていうのも結構ええ運動やから(笑)

 

——では、最後に一言いただけますか。

 

生野支部で育って40年、楽しいことも苦しいこともいろいろありましたが、皆さんの支えがあって今現在の私があります。またご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いします。

 

 

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